2013年4月6日土曜日

青空文庫で「チベット旅行記」を読む

 Nexus 7 が青空文庫の作品を読むのに大変便利であるということは、以前このブログで紹介したとおりである。相変らず通勤時間を読書で快適に過ごす日々が続いている。Nexus 7 は最高の読書端末である。

 今日は、青空文庫で見付けた河口慧海の「チベット旅行記」が大変面白かったので、紹介してみたい。

 河口慧海はチベット仏教を学ぶために英領インドを経由してチベットに向う。当時のチベットは鎖国政策を採っていて、外国人が入ることなど不可能な状況だったのだが、諦めることなく、彼は所期の目的を達して無事に日本に戻ることを得るのである。

 彼はまず、インドでチベット語を勉強することから始める。そして言葉をマスターすると、関所を避けるため非常な遠回りをして雪山を越え、死の危険を冒しながら、チベットの首都ラサに入り、大学で仏教を学ぶ。たまたまチベット人の脱臼を癒したことから医者としての名声を得、ついにはダライ・ラマ法王に拝謁し、侍従医に推されるほどとなる。ちなみに当時のチベットにおいては脱臼を治す手段がなかったようだ。
 日本人であることが露見すると逮捕される恐れがあるため、時には支那人であると偽り、時には(驚くべきことに)チベット人に成りすまして、ラサで仏教の修行に励むのである。
 当時、日清戦争に勝利し旭日の勢いであった日本から来ていることが知れると、スパイ(作品の中では「国事探偵」と表現されている)の疑いを受ける可能性が高かったからだ。

 そして、日本人であることが発覚しそうになって、河口はチベットを去る。

 この作品は大きく次の四つの部分に分けられる。

  • インドにおける準備期間
  • チベットにいたるまでの冒険的移動期間
  • チベットでの生活及びチベットの習俗の紹介
  • チベットを逃れてインドにいたるまでの期間及び慧海脱出後にラサで起きた疑獄事件から恩人を救うためにネパール国王にチベット法王への上書を委託するまでの間

 当時の日本人であればチベットの習俗の紹介も興味深く読めたのだろうが、私はその部分にはあまり面白みを感じなかった。
 逆に楽しく読んだのは、チベットにいたるまでの冒険とチベットを逃れてインドにいたるまでの機転に満ちた慧海の行動、そして、「国事探偵」の慧海と交際した疑いで獄にいるラサの恩人の疑いを晴らすための最後の冒険だ。
 
 どうだろうか。河口慧海の行動力には敬服するの他はない。
 省みるに私にはその一割ほどの行動力も備わっていない。石橋を叩いて渡らない私のような性格では、何か大きなことを成し遂げることは到底出来るはずがない。とそういう思いを強くした。
 そして、諦めることなく目的のために突き進むならば、拓けない道はない、とも思った。信じて突き進むところに自ずから道が出来る。河口慧海の馬鹿正直なまでの生き方を知ることは、私に感動に似た清々しい気持になる一時を与えてくれたのである。

 この作品を読んで驚くのは、開国後間もない明治35年に、すでにインドに三井物産が拠点を構え、その支配人という人が河口を援けていることだ。侍がちょんまげを結って、刀をぶら下げて江戸の町を歩いていた江戸という時代が終了してから、たった35年目に日本人は既に世界に活動の場を拡げていたのである。これが明治という時代だったのであろう。
 同じ日本人として、先人の活躍を嬉しく思うのと同時に、この紀行文を読むことで自らの小心を省みることともなった。


 さて、私がこの本を読み始めた直接の動機は、明治時代のチベットの実相を知りたかったことにある。
 尖閣諸島を噓と恫喝とプロパガンダで日本から奪い去ろうとしている中国共産党が、チベットを侵略し諸外国の非難をよそに現在も暴力による支配を連綿として続けていることは動かしがたい事実である。中国共産党によるチベット支配に正統性がないことを確認するために、当時のチベットを知りたかったわけだ。

 しかし、この作品の素晴らしさは、そうした私の政治的な志向を忘れさせてしまった。

 途中、読み続けるのに忍耐力が必要な部分がないではないが、大変面白い作品であったので、ここに紹介した次第である。