2012年7月16日月曜日

大津いじめ自殺事件について

大津市で中学2年生が「いじめ」を苦に自殺していた問題で、少し考えを述べてみたい。

日付が変ったので正確には昨日だが、今日、「滋賀・いじめ自殺 自殺前に自分の貯金などから40万円余りを工面」という記事がでた。いよいよ、この「いじめ」を行ったとされる少年の犯罪が明らかになりつつわけだ。


リンクが切れることもあるかと思うので、以下文章を引用しておく。
滋賀・大津市で自殺した中学2年の男子生徒がいじめを受けていた事件で、この男子生徒が自殺する前、自分の貯金などから40万円余りを工面していたことがわかった。

 大津市で自殺した男子生徒がいじめを受けていた事件では、警察が市の教育委員会などの捜索を行う異例の事態となっている。

 男子生徒は、自殺する3カ月前から、貯金を引き出したり、親戚の財布から抜き取ったりして、あわせて40万円余りを工面していたことがわかった。

 教育委員会が行ったアンケート調査では、加害生徒から男子生徒に対して金銭の要求があったとの回答もあり、警察は恐喝や強盗があった疑いもあるとみて、関係者から事情を聴いている。(フジテレビ系(FNN) 7月15日(日)12時27分配信)
ここで記事にするのも不愉快なほどだが、これまでの記事を綜合すると、加害少年の行っていた行為は大体次のようになる。事実の解明は警察の捜査や裁判を待たなければならないが、


・殴る蹴るの暴行
・死んだ虫を食わせる
・金を奪う
・部屋を荒す
・自殺の練習

などは、どれも立派な犯罪行為である。



被害を受けた少年はこれらの行為の標的となっていた。暴行した少年や、何の助けにもならなかった学校に対して死をもって抗議したものだと思う。


亡くなった少年の心中は察するに余りある。


しかし、理不尽な行為に対して死をもって抗議するしかなかった、という現状には寒気がする。死をもって抗議するというのは、中国共産党に対するチベットの僧侶などのように、相手が法の裁きを受けない国家などの場合である。少年だからどんな犯罪を犯しても法の裁きを受けない、という現在の状況は間違っている。


もし、私が今日少年に襲われて殺され金を奪われたとしても、犬死となってしまうのだ。凶悪な少年から身を守るためには、何らかの武器を持って自衛しなければならないということになる。しかし、相手が徒党を組んでいた場合には、自衛をしたとしても恐らく身を守ることは不可能だろうから、私は敢えて自衛はしないけれども、こういう殺伐とした社会に生きることを私は欲しない。凶悪犯罪の場合は少年もきちんと法の裁きを受けるように法律を改正すべきである。

少年の人権ばかりではなく、被害者の尊厳も同等以上に守らなければならないのだ。


未成年であるから、学校内の犯罪であるから、といってこれらの行為を「いじめ」という言葉で表現することは間違っている。これらは「いじめ」ではなく、立派な犯罪だ。子供たちを管理すべき教員、教員を管理すべき教育委員会のていたらくは厳重に処罰されなければならない。教師や教育委員会は自分の管理能力を越えたと判断したならば、犯罪の標的となっている少年の尊厳を守るために、直ちに校内に警察力を導入すべきであった。


情報を隠蔽し自らの保身しか考えない教育者の態度、学校への司法の介入を嫌う教育界の現状には、全くうんざりする。

そして、法が無力だから、犯罪を犯した少年の個人情報がネットに出回ることになってしまうのではないかと思う。現在の少年法は、結局、触法少年のためにも被害者のためにもなっていない。


少年といえども善悪のけじめはつけなければならない。法を犯せば罰せられ、他人に損害を与えれば賠償しなければならないのが法治国家である。


少年だけ治外法権であってよいわけがない。



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