2012年5月31日木曜日

原子力発電所の運転再開議論の不毛に思う

日本に存在するすべての原子力発電所が停止してから、一月が経過しようとしている。この間、テレビや新聞等の報道を見るにつけ、その議論の不毛に幻滅を感じる毎日である。

マスメディアの報道は原発憎しの一念に凝り固まっているだけの感情論の域を出ていないように感じる。あるいは希望論と言うべきか。現在の日本ですべての原発を停止させることがどのような結果を招くか判らないはずはないのに、世論を是が非でも原発反対の方向へ引張っていこうとする意図が透けて見える。無責任に原発の危険性やこれまでの決定の瑕疵を論うだけでは、何の解決にもつながらない。そこからは、過去の反省から向かうべき未来が見えてこないのである。

それでは政府の発表はどうか。こちらは、すべての原初力発電所が停止したままでは電力需要に対して十分な発電量が確保できないとの恫喝まがいの発表に終始している。端的に言えば、原発を停止させたままでは停電したり、電気代が上がったりしますよ。という趣旨の発表である。

そして、最大の当事者である電力会社の発言は論ずる価値すら感じない類のものだ。


最近思うのだが、我が国の電力政策には長期的展望が決定的に欠けている。

まず、重大な事故が起きてしまった事実を直視すれば、我が国で将来にわたって原子力発電に頼った電力供給を続けることは現実的ではないと思う。10年か20年か、技術的に可能な年限を切って、それまでに原子力に頼らずに電気を供給できる体制を作るという展望が必要である。最近流行りの言い方をすれば、「ビジョン」というやつが必要なのである。

一方で、原発が危険であるというだけの理由で直ちに原発を停めるべきだという要求には絶対に反対である。発電量が需要に対して不足すれば、予測不能の停電が起きることが想定されている。そして、それを回避するためには、計画的に停電させる必要がある。このようなことをすれば日本経済に甚大な影響があるし、電力供給が断たれれば、直接的間接的に様々な危険が我々を襲うだろう。病院で停電が起きれば文字通り生命の危険が想像されるし、不測の停電が起きれば信号が停止するかもしれない。外出中にエアコンが停止すれば子供やペットの生命の危険があるだろうし、マンションは断水することもあるだろう。

この危険性は原子力発電所の事故の危険性をしのぐものだと私は考える。それ故、無計画に直ちに原発を止めることは得策ではないのである。

自分自身に危険がおよばなかったとしても、電力不足によって様々な不便を経験したり、我慢を強いられたりすることは昨年誰もが経験したとおりである。


長々書いたけれども、結論としては長期的には原子力に頼らない電力政策を策定し、計画的に原発を停止させていくべきである。そして、それまでの間は危険性の少ない施設を選んで、最低限の原子力発電を続けるしかない。

確かに原子力は危険であり、原子力発電によって生じる廃棄物は始末に困る代物だ。そして、一民間企業に、この危険な施設を運営する資格がないことも今回の事故で明らかになったものと思う。

結論。

原子力発電は、不要な状態になるまでの間は運転を続けるべきである。そして、原初力発電に変る発電方法への転換を進める具体的な計画を政府と電力各社とは共同で公表すべきである。


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